【どこで死ぬ?】退院調整看護師が教えるこれからの看取り場所と看取りの流れ
こんにちは、退院看護師のさやみんです。
私は看護師になって約10年の経歴があります。育休中の期間もありますが、ほとんどは病棟勤務で高齢者を看取る病棟に長く勤務していました。
そんな経緯もあり、病棟で人を看取るという経験は普通の看護師並みに経験しています。
そんな私ですが、今では退院調整部門という病院内の組織に異動になり、入院中の看護中心から、退院後にどこでどのように療養するかという視点で患者さんと向き合うようになりました。
ここを読んでくれているあなたは、もし家族が癌などの病気で終末期になり、人生の最後をどこで過ごすかということを考えたことがありますか?
実際に病気などを抱えている方は、もしかしたらこんな話をしたことがあったかもしれませんが、元気に過ごせている方はこんな話題を挙げることもないですよね?
でも今の、そしてこれからの日本ではそんなことを言っていられる状態ではないことを知っていますか?
高齢者人口が爆発するこれからの日本、あなたは自分の親にどこで最後を迎えさせるつもりでいますか?
本気で考えておかないときっと数年から十数年後、きっと悩みます。
今でさえ病院では
「看取りを含めた療養場所がない」
とたらいまわしにされている患者は少なくありません。
今回は私が実際に経験した看護師視点と日本の状況に照らし合わせたうえでこれからの看取りと終の棲家について語ってみたいと思います。
看取り場所は「病院」だと当たり前に思っている今の日本人の感覚
あなたは人が死ぬ場所は「病院」だと当たり前に思っていませんか?
きっと誰に聞いてもほとんどの人がそう答えるでしょう。
でも今の日本は高齢者人口が増加するばかりですよね?
それに対応して病院は増えていますか?
今の日本の政府は、反対に病院を少なくしようと必死です。(医療費かかるしね。)
では増え続ける高齢者はどこで死んでいくのか?
残酷な言い方をしますが、それは病院ではありません。
自宅や施設などの地域で看取るのです。
「地域包括ケアシステム」の善と悪
「地域包括ケア」というものを聞いたことがありますか?今日本は全力でこの政策を推し進めています。
よく言えば病院だけでなく、退院後も安心できるように地域で住民の健康をサポートしていきましょう、というもの。
悪く言えば病院だけで高齢者を面倒見るのは大変だから、もっと地域のサービスや施設に患者を分けて医療を分担していきましょう、病院じゃ高齢者が収まりきらないから、というものです。
これを聞いてあなたはどう感じますか?
- そんな邪険に高齢者を扱うなんて!
- でも確かに高齢者が多いからしょうがないよね・・・
私も同じです。
病院から追い出すようなイメージもある地域包括ケアシステムですが、私はこの仕事を始めてから、ちょっとだけ地域包括ケアシステムについて気づいたこともたくさんあるんです。
病院でも地域でも施設でも医療は変わらない
病院と地域(自宅での療養も含む)と施設。
これらが今後の日本での高齢者の終の棲家となりうる場所です。
実際に希望を聞きながら、病院でなく自宅で介護・医療を受けながら、最後まで自宅で看取るような方もサポートをしています。
そんな方々を支援して気づいたこと。
それは病院でも、自宅でも医療の質は変わらないということです。
なぜ病院にいると安心できるのか?
突然ですが、あなたは何故病院にいると安心できるのでしょうか?
- 24時間体制で看護師などが見てくれる
- ナースコールがあっていつでも看護師が駆けつけてくれる
- 急変時も対応してくれる
24時間体制で医療スタッフが近くにいてくれること。
それが病院が安心でいる最大の理由ですよね。
でも私から言わせてもらえば、コレって「在宅医療」も全部当てはまるんです。
「家で看取るなんてありえない」と思っている方はたくさんいます。
でもこの現代日本人のカッチカチに固まった固定観念を覆すことが私の野望でもあります(笑)
現在の在宅医療の在り方と病院の現実
今の在宅医療は
- 訪問診療(昔風で言えば往診というやつ)
- 訪問看護
- ヘルパー
- 病院
などが連携し、24時間体制で医療が提供できるような仕組みになっています。
確かに地域などによっても利用しやすさには違いがありますが、現在の在宅医療を使えば「自宅でひとりで死んでいく」ということも可能なのです。(ひとりはかなり大変ですが・・・)
逆に病院にいれば安心と思っている方、
https://sayamin.com/entry/2017/12/11/120408/
この記事にもあるように、看護師は看取りといっても単なる業務にすぎません。
そこに感情移入している余裕もないし、他の患者さんのケアもある中で看取る人をずっと付きっ切りで見ているわけではありません。
だから最も忙しく人手が少ない朝6時頃に心拍が急に低下してしまっても、もしくは5時頃に心臓が止まってしまっていても気づかなかったということも少なくないのです。
病棟全員の検温を終えてお部屋にもどってみたらモニターがもうフラット(心拍を拾えずピーっとなっている状態のこと)だったというケースも看護師にとってはあるあるなのです。
これが病院の24時間ケアの実態です。
さらに言うと病院は治療や医療行為を優先する場所です。
そして看護師は点滴を抜かれたり、認知症でぼけて徘徊されることを酷く嫌がります。
するとどうなるか?
どんなに予後が短くても、本人が嫌だといっても「安全のため」という理由で手首やお腹まで縛り付けられてしまうこともあるのです。お散歩や外を見ることも叶いません。
もちろんこんなケースだけではなく、緩和医療に力を入れて、最後までその人らしく過ごせるかかわりをしてくれる病院も存在しますが、このように人間としての尊厳を無視するような医療も実在しているのです。
これでも病院は安心と言い切れますか?
私は病院の現実も看護師の事情も知っています。
そしてこの仕事になって在宅医療のチームの人一倍の熱意も知ることが出来ました。
だからこそ家族でサポートしてあげられるなら、「家や施設で看取る」こんなに幸せなことはないと思います。
そしてぜひこの記事を読んで地域で看取ることの悪いイメージを払拭してもらえたらと思うんです。
自宅や施設で看取ることは、病院で看取るのと同じだと思っています。
何かあった時にはすぐに駆け付けてくれるし、苦しかったり痛みがある場合には病院と同じ方法で症状を緩和することが出来ます。そして何よりあたたかく見守って心配してくれる家族やスタッフがついています。
看取りへの不安
よく看取りの方を抱えたご家族が
「死ぬ場面に向き合うのが怖い、未知のことで自分で受け止められるのか不安」
とおっしゃいます。
私ら看護師は当たり前のように死の場面に立ち会っているため、死が近くなってきた時や症状の進行具合で死がどれだけ近いか、これからどうなるのかをある程度は予測することが出来ます。
看取りの流れと状態の変化
簡単に書くと
まず死が近くなるとぼーっとすることが多くなったり、妄想のように何かがみえたり聞こえたりすることがあります。この時期は痛みや苦しさを感じていることが多いので、苦痛を緩和するケアを最優先で行います。
(この辺が人にもよりますが1週間~2・3日前といったところでしょうか)
モルヒネなどの麻薬を使うことも多いです。
そして徐々に動けなくなるようになり、意識もさらに朦朧としてきます。
呼びかけても答えないようなときも増えていきます。
この時期は意識が低下しているため、痛みも感じにくくなっていることも多いです。
(1日前くらいですかね)
そして看護師の直感として、「そろそろくるな・・・」と感じ始めるポイントは
- おしっこが全然でなくなる
- 喘ぎ呼吸(顎を動かしてパクパクするような呼吸)
- 呼吸が止まることがある
- 手首で脈が取れない(血圧が80くらいを切るとこうなります)
- 呼びかけてもまったく意識がない、痛み刺激にも反応しない
ここまで症状がすすむと看護師同士でも「今日の夜勤誰?あたるかもね」なんていう会話が聞かれます。
そして最後は、呼吸が徐々に少なくなり、最後の1回の呼吸をして止まります。
さらに心電図モニターもピーとなり、心臓が止まります。
医師が死の三兆候(心臓拍動停止、呼吸停止、瞳孔散大・対光反射停止)を確認して、死亡と診断されます。
こんな流れ。
まとめ:病院以外の看取りも新しい選択肢へ
最後に言わせてもらいたいのですが、家族が「どうしても自宅などで見なくちゃいけない」とストレスになってしまうのはいけません。
看取り場所に「絶対に」ということはないのです。
医療はすべてチームで行っています。
「家が無理なら病院においで。」
私達はいつもそういって患者さんとそのご家族を送り出しています。
「在宅じゃなくちゃ」というストレスが家族を苦しめてはいけない。
もしそんなストレスを抱えてしまうようなら早めに看護師でもドクターでも誰にでも助けを求めていいんです。
大事なのは抱え込まずに、チームみんなで解決していくこと。
これが私が実感している「地域包括ケアシステム」のいいところなんです。
だからこそここで書いたような病院だけではない選択肢も看取り場所としてあるんだよ、と伝えたくて書かせてもらいました。長文読んでいただきありがとうございました。